福仙楼汁なし屋台そばはいいぞ

今までサボってきたツケが回ってきて、やることが山積みです。来週、俺 vs 教授&博士学生のラップバトルが控えています。それに向けて論文を読んで資料の準備をしないといけないんですが、進捗10%という状況です。いや、別に大したことはないんですよ。結局、自分が分からないことに分からないと言えばいいだけなので。でも、本当に何も分からないだけじゃ駄目で、相手からどうして分からないの? とツッコまれたら胸張って分からないですと答えられるだけの努力と論理の裏打ちがないといけないんですよね。話の着地点が分からなくなってきたな。こんなこと書いていたらなんか焦りが生まれてきたぞ。やるぞやるぞやるぞ

 

昨日、芥川賞が発表されました。芥川賞候補作がすべて女性作家の作品なのは初めてだそうです。とはいえ、年森瑛さんは性別を公表していなかったはずです。「候補作がすべて女性」とコマーシャライズするために性別を公開したということでしょうか。だとしたら、「LGBT」や「女性」等の安易なマイノリティ表現への違和感を描いた年森瑛さんの『N/A』が候補作にあるのはなんと皮肉なことか。

それはさておき、今回の受賞作は高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』だそうです。僕は『N/A』以外の候補作を読んでいないので、中身について何も語ることがありません。ですが、高瀬隼子さんの別作品(?)は読んだことがあります。文藝の特集記事に、金原ひとみさんとその他複数人の作家さんたちが代々木公園でピクニックをして私小説を書くという奇怪な体験がまとめられていました。ピクニック中に、ずっと憧れだった金原さんのサインが欲しかったけど恥ずかしくて最後まで言い出せなかった体験が、高瀬隼子さんの私小説で綴られていました。かわいい。こういうことをネット上に書くの良くないらしいね。

私小説が好きです。私小説って何でしょうか? Googleで軽く調べると

作者自身の経験や心理を虚構化することなく,そのまま書いた小説。

なんて出てきますが、上滑りという感じがします。現実の出来事を文章にする行為には、いわばアナログをデジタルに変換する難しさがあります。書くことを取捨選択して言葉を選ぶ段階で、すでに現実そのものからかけ離れている可能性があり、物語化は避けられません。著者自身の要素がしっかり煮詰まっているとも言えるでしょう。一見矛盾しているように思えますが、私小説は「自分自身の虚構」であると表現する方が正確な気もするのです。

暗闇をペンキで覆い隠してしまうのではなく、一つ一つ光り輝く粒子を置いていく。それらは星座となり、星と闇とが混ざり合い蠢いている。浮かび上がったものを見て、読者は「あれは天秤だ」とか「かにだ」と一人心の中で納得する。私小説には、まるで夜空を見上げるような、その関係の一方通行さ、奥ゆかしさ、有難さがあり、心惹かれているのだと思っています。頑張って好きなところを言語化してみたけど、何か嫌になってきた。嘘ついといて「信じてくれ」と図々しく頭を下げるときのあの気持ちになってきたな。

話がだいぶ逸れた。高瀬隼子さんは”犬”に特別な関心を持っているそうです。ガチナイス。常に10冊ぐらい溜まってる積読を消化したら、『犬のかたちをしているもの』も併せて読んでみたいです。

 

おいしいラーメン食べたいなァ~~~~~~

おいしいぽ酒も飲みたいな~~~~~~~~

 

誰か連れてってください