夜ノ森

中学の頃、旅先で切符をなくして駅員に泣きついた日付を覚えている。偶然、誕生日だったから。

だから、あのときから何年何カ月経ったかを、今でも正確に計算できる。

中途半端に歳をとると、あれから何年経ったのだろうかと考える瞬間が増える。あの事件は2016年だったなとか、あのアニメは高校2年生の時だったなとか。

あれから5年経ったというのは、あまり意味のない事実。正しいと思う。時間は負の膨張材料みたいなもので、熱があればそれだけ短く感じる。それだけ懐かしくも感じる。

懐かしいというのは、半透明の膜みたいなものだ。ほら見てくれ。風邪の日に見た夕焼けは嘘の色をしている。指の間から砂のように零れ落ちそうな真実を手に入れたくて、カメラのシャッターを切った。

家に帰って、撮った写真をプリンターで現像した。プリンターとおんなじ質量を持っているはずのその写真は、思いのほか軽かった。コルクボードの上に飾った。プリンターの熱とともに吐き出された写真は、徐々に冷たくなっていった。そんなものだと思う。